2014年02月14日
子どもたちと同じ目線で向き合いたい
みやざき中央新聞に載っていた
小学校教諭の香葉村真由美さんのお話です
子供ととことん向き合う姿がとても素敵です
是非、沖縄でも先生の話が聴きたいと思っています
今、先生の人
未来の先生の人
又は、教育に関わる人
父母の方
みなさんに聴いて貰いたいと思っています
共感者募集中ですので
宜しければコメント下さいね^_^
―――――
サヤカ(仮名)は、
私が一番最初に担任をしたときの生徒でした。
とても明るくて、元気で、リーダー的な存在でした。
卒業後、しばらく音信不通だった彼女がある日、
私が当時勤めていた学校に突然やってきました。
「先生、話がある」と言われ、
喫茶店に行き、目の前の彼女の腕には、
たくさんのリストカット跡がありました。
「その傷はなに?」という私に
一度は腕を隠しましたが、
今日までのことを話してくれました。
福岡を離れ、大阪で働いていたサヤカは
好きな人ができて、お腹に赤ちゃんができたそう。
嬉しくて彼に話すと、
彼は姿を消しました。
その後サヤカは博多に戻り、
生むことを周りから反対され、
赤ちゃんをおろしてしまった自分を
どうしても許すことができず、
リストカットを始めたそうです。
でもたった一人だけ、
彼女を支えてくれる人がいました。
彼女のお姉さんの彼でした。
「お兄ちゃん」と慕い、リストカットをしたくなったら、
彼を呼び出しました。
その日も電話で、
「お兄ちゃん、私キツイ」と話すと、
「すぐ行くから待っとけ」と言いました。
しかし、お兄ちゃんは
サヤカのところに現れませんでした。
サヤカの元に向かう途中、
交通事故で亡くなったことを
彼女は翌日知るのです。
それから彼女は、
自分と関わっていく人はみんな不幸になっていく
と思い、たくさんの薬を飲み始めました。
そんなときにサヤカは私に会いに来てくれたんです。
しかし、私は、
「何やってるの!
命はひとつでしょ?
頑張らなきゃだけじゃない!」
とサヤカを叱りました。
「わかってる」
「わかってない!」
「わかってるから先生に会いに来たんだよ」
そして、彼女との別れ際、
「頑張って生きるんだよ」
と私は伝えました。
しばらくして、私のところに届いた便りは、
サヤカがネットカフェで大量の薬を飲み、
自ら命を絶ったというものでした。
私はすぐにサヤカの実家に行きました。
私の顔を見るなり、お母さんが言ったのです。
「先生はサヤカになんておっしゃったんですか?
サヤカが最後に会ったのは先生だったんです・・・」
私の身体は、バラバラになっていきました。
どうして私は、
「今日までよく頑張ったね」
と、サヤカのすべてを受けとめ、
信じてあげられなかったんだろう。
教師としてだけでなく、
人として自信をなくしてしまいました。
自分を責め続け、心の病気になっていきました。
夜中にサヤカを探し歩いている自分がいました。
まだつながる、サヤカの携帯電話に電話し、
「ごめんね、先生は何もわかってなかった・・・」
と話している自分がいました。
教師だからと、自分の正しさだけを
子どもに押し付けていたのかもしれない。
私は少しずつ
外から自分を見れるようになっていきました。
小豆島に行き、雄大な自然と
人の笑顔に心が癒され、
家に帰ると、
ずっと病んでいた私を心配していた娘が私の手を握り、
「お母さん、もう生きているだけでいいから!」
と言ってくれました。
娘のその言葉を聞いた私は、
「今度は子どもたちと同じ目線で向き合いたい。
サヤカの分も精一杯生きたい」
そう思うことができたのです。
メルマガ輝く未来ビトより転記
小学校教諭の香葉村真由美さんのお話です
子供ととことん向き合う姿がとても素敵です
是非、沖縄でも先生の話が聴きたいと思っています
今、先生の人
未来の先生の人
又は、教育に関わる人
父母の方
みなさんに聴いて貰いたいと思っています
共感者募集中ですので
宜しければコメント下さいね^_^
―――――
サヤカ(仮名)は、
私が一番最初に担任をしたときの生徒でした。
とても明るくて、元気で、リーダー的な存在でした。
卒業後、しばらく音信不通だった彼女がある日、
私が当時勤めていた学校に突然やってきました。
「先生、話がある」と言われ、
喫茶店に行き、目の前の彼女の腕には、
たくさんのリストカット跡がありました。
「その傷はなに?」という私に
一度は腕を隠しましたが、
今日までのことを話してくれました。
福岡を離れ、大阪で働いていたサヤカは
好きな人ができて、お腹に赤ちゃんができたそう。
嬉しくて彼に話すと、
彼は姿を消しました。
その後サヤカは博多に戻り、
生むことを周りから反対され、
赤ちゃんをおろしてしまった自分を
どうしても許すことができず、
リストカットを始めたそうです。
でもたった一人だけ、
彼女を支えてくれる人がいました。
彼女のお姉さんの彼でした。
「お兄ちゃん」と慕い、リストカットをしたくなったら、
彼を呼び出しました。
その日も電話で、
「お兄ちゃん、私キツイ」と話すと、
「すぐ行くから待っとけ」と言いました。
しかし、お兄ちゃんは
サヤカのところに現れませんでした。
サヤカの元に向かう途中、
交通事故で亡くなったことを
彼女は翌日知るのです。
それから彼女は、
自分と関わっていく人はみんな不幸になっていく
と思い、たくさんの薬を飲み始めました。
そんなときにサヤカは私に会いに来てくれたんです。
しかし、私は、
「何やってるの!
命はひとつでしょ?
頑張らなきゃだけじゃない!」
とサヤカを叱りました。
「わかってる」
「わかってない!」
「わかってるから先生に会いに来たんだよ」
そして、彼女との別れ際、
「頑張って生きるんだよ」
と私は伝えました。
しばらくして、私のところに届いた便りは、
サヤカがネットカフェで大量の薬を飲み、
自ら命を絶ったというものでした。
私はすぐにサヤカの実家に行きました。
私の顔を見るなり、お母さんが言ったのです。
「先生はサヤカになんておっしゃったんですか?
サヤカが最後に会ったのは先生だったんです・・・」
私の身体は、バラバラになっていきました。
どうして私は、
「今日までよく頑張ったね」
と、サヤカのすべてを受けとめ、
信じてあげられなかったんだろう。
教師としてだけでなく、
人として自信をなくしてしまいました。
自分を責め続け、心の病気になっていきました。
夜中にサヤカを探し歩いている自分がいました。
まだつながる、サヤカの携帯電話に電話し、
「ごめんね、先生は何もわかってなかった・・・」
と話している自分がいました。
教師だからと、自分の正しさだけを
子どもに押し付けていたのかもしれない。
私は少しずつ
外から自分を見れるようになっていきました。
小豆島に行き、雄大な自然と
人の笑顔に心が癒され、
家に帰ると、
ずっと病んでいた私を心配していた娘が私の手を握り、
「お母さん、もう生きているだけでいいから!」
と言ってくれました。
娘のその言葉を聞いた私は、
「今度は子どもたちと同じ目線で向き合いたい。
サヤカの分も精一杯生きたい」
そう思うことができたのです。
メルマガ輝く未来ビトより転記
Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 12:28│Comments(0)
│今思った事 考えた事