2013年03月16日
一番の良き師、良き友は
《一番の良き師、良き友は》
まだ幼い3歳の時に、
霜焼けから「突発性脱疽(だっそ)」にかかり、
両腕を肘の関節から、
両足を膝の関節から切り落とすという、
業苦の人生を生き抜いた中村久子さん。
7歳の時には、父を亡くし、
母は、子供をつれて川の激流にのみ込まれ、死を覚悟しますが、
久子の泣きき声でわれに返り、とぼとぼと我が家に帰ります。
10歳では、弟と生き別れる悲しみに耐えました。
母の再婚で苦労の連続でしたが、
母はあえて一人で生きて行けるようにと、
厳しく久子に接っします。
誰の手も借りずに生きていかせるために、母は、心を鬼にしたのです
そして、妻として、母として二人の子供を育て上げ、
その72年の生涯を終えまました。
その凄まじい人生、生きる姿は、
多くの人に生きる希望と勇気を与えました。
ある日事故で両手を無くした青年が、久子さんのもとを訪れます。
手を使えない体で食事をする姿を「犬喰いだ」と軽蔑された悔しさを、
久子さんが普通の人のようにお茶碗と箸で食事をしているということを聞いてのことでした。
拷問さながらの久子さんの指導に
「それほどまでにしなくても・・・」
と家族が手を出そうとすると
「手のあるあなたがたは黙っていなさい。
手のない人間が、人並みにご飯を食べようと努力しているのです。
そんなつまらん同情をしていたら、
この人はいつ、人並みにご飯が食べられるようになるのですか。
薄っぺらい同情は仇にこそなれ、何の役にもたたないのです。」
努力の末、この青年は見事に一人でご飯も味噌汁もたべられるようになり
喜び勇んで故郷に帰っていったそうです。
そして久子さんは、後にこうお話されました。
「障害者は人の10倍は努力をせねばなりません。
努力の中でこそ、誇りが生まれてくるのです。
身体障害でどうにもならない人以外は、
世間様に甘えてはいけません。
チエのある人はチエで、
働ける人は動ける体で、
自分のパンは自分の力で稼ぎ出してください。
そこに最高の喜びが生まれてきます」 と。
中村久子さんは、数多くの歌も残されました。
「さきの世にいかなる罪を犯せしや拝む手のなき我は悲しき」
お念仏のみ教えにあって今初めて知らされる己の業の深さ。
そんな深い業の持ち主であったればこそ、
今、私は、み仏のお慈悲に会わせて頂くことができました。
もし、私にわがままが許されるのなら、
拝む手が欲しいのです。
救われていく喜びを表す手が欲しいのです。
せめて両手を合わせてお礼を述べたいのです。
また、次のような歌もあります。
「手はなくも足はなくともみ仏の慈悲にくるまる身は安きかな」
手足のない人生。
他人が見ればこれほど過酷な人生はないと思うかもしれません。
しかし今の私は、阿弥陀さまの温かい懐に抱かれて、
この上もない安らかな人生が恵まれているのです。
輝く未来ビトより
登録は空メールで
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どんな事も受け入れて生きる事で心が楽になれるのかもしれません
受け入れるとは責任を持つ事
責任を持った時、克服するための努力を自分の未来に繋がると感じる事が出来るのかもしれません
Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 14:49│Comments(0)
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