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2012年09月01日

CAN:やればできるさ!


【CAN:やればできるさ!】


この愛の物語は43年前、

マサチューセッツ州ウィンチェスターで始まった。


生まれた時、へその緒が首に巻き付いていたリックは、

脳に障害が残り、四肢を動かすことが出来なくなった。


生後9ヶ月の時、父:ディック・ホイトと妻:ジュディ・ホイトに医師は宣告した。

「この子は、一生知能も働かず言葉も話せないだろう。施設に入れなさい」と。



でもホイト夫妻は耳をかさなかった。

ディックは、

「普通の子と同じように育てよう、自分たちが諦めてしまったら、この子に明日はない」

と施設へ預けることをせずに、自分たちで育てる決心をした。


赤ちゃんの名前はリックと名付けられ、生後9ヶ月で退院し自宅へ。

ディックは息子を励まし、チャレンジしようと常に声をかけた。

しかし、現実は厳しく、リックは

声が出ない、

物を掴むことも、

歩くこともできず、

耳が聞こえているかもわからなかった。


両親は辛抱強くリックに何度も話しかけ続けた。

そんなある日、

リックが目で、部屋の中を移動する両親を目で追っていることに気づいたのだ。


リックには意志もあり、耳も聞こえているという現実に

希望の陽がディックとジュディに射した。

やがてリックは、頭の動きで「YES」「NO」を伝えられるまでなった。


リックが11歳の頃、二人はタフト大学の工学部へと息子を連れて行き、

「この子が意思疎通できるよう手を貸してくれないか」 と請願した。

「無理ですよ。彼の脳は全く機能していませんよ。」

そう返事が返ってきた。

「それじゃ、何かジョークを言って下さい。」

父は食い下がった。

彼らはその通りにジョークを言うと、リックは笑った。

実際には、彼の脳は活発に機能していたのだ。



スイッチに振れることでカーソルを動かせるコンピュータを

リックの頭の横側に取り付けることにより、

ついに彼は意思疎通できるようになった。

最初の言葉?

それは

「行け!ブルインズ(ボストンのホッケーチーム名)!!」

だった。


その後リックは、Jr.ハイスクールに編入し、

この装置を使って毎日猛勉強した。


その努力が実を結び、他の同年代の生徒と同じレベルであることを

学校側に認めさせるまでになった。

そんななか、彼とそして彼の父親ディックの人生を変える出来事が起こった。


高校の同級生が事故で全身麻痺になり、チャリティーマラソンが開催された。

それを聞いたリックがカーソルを動かし言葉を打ちこんだ。


「父さん、僕もやりたい。」



「まさか!

自他共に認めるデブっちょで、

一気に1kmも走れないような男が、

どうやって息子を押して8kmも走るっていうんだ!?」


車椅子を動かすこともできない状態のリックが

どうやって参加できるのか、ディックは悩んだ。


しかしリックが、

「人のために何かしてあげたい」

という強い気持ちを持っていることを知り、

ディックはリックと共にマラソンに出場することを決心した。


走った後、今度はディックの方がハンディキャップを負ったと言う。

「2週間、体中が筋肉痛でもう。。。」



レースが終わったあと、リックは父のディックに言った。


「父さん、

一緒に走っている時、僕、

自分が障害者じゃなくなったような気分になったよ!」



今度はその一言が、ディックの人生を変えた。

父は、息子にその気分を出来るだけ与えてあげることに取り付かれた。

おかげでディックの腹はぺたんこに引っ込み、

二人は1979年のボストンマラソンに出場するべく、

練習に励んだ。



「まさか、無理ですよ!」

マラソン事務局に撥ね退けられた。

ホイト親子は、一人で走るわけでもなければ、

車椅子走者というわけでもないからだ。


その後数年間、仕方なくディックとリックは

その他の小規模なマラソン大会に参加して、とにかく走った。


そしてそのうち、正式にレースに参加する方法を見つけた。



1983年のあるマラソン大会で、二人はあまりにも早く走ったので、

翌年のボストンマラソン出場資格のタイムに達してしまったのだ。



「トライアスロンに出場してみたらどうだ?」

あるとき、友人がディックに言った。


「泳ぎ方も知らない、

6歳以来自転車を漕いだこともない男が、

どうやって50kgの息子を引っ張って

トライアスロンに出場するっていうんだ!?」


でもやっぱり、ディックはやってみた。


何度もチャレンジをするうちに、

世界一過酷と言われる、ハワイのアイロンマンレースに参加できるまでの実力が見に付いていった。

そして、ハワイのアイロンマンレースで二人は、

水泳3.9km、自転車で180.2km、

最後は車椅子を押しながら42.195kmのフルマラソンを走り抜き、

世界一過酷なレースを完走した。


それ以来、二人はこれまで、

34.195kmを82回も走り、

トライアスロンも8回も出場している。



ディックは周りからこんなことを言われる。

「一人で走ってどんな結果がでるか、やってみたらどうだ?」

「まさか!やだね。」

ディックは即答する。


彼が走る理由はひとつ。

共に走り、泳ぎ、漕ぐ中で息子が見せる、

ひまわりのような笑顔が見れた時の、

あの「最高の気分」に浸るため。

ただ、それだけなのだ。



「疑う余地も無く、僕の父さんは今世紀最高の父親だよ。」

そうリックはタイプを打つ。



一方、ディックの方でも、これまでのレースで得るものがあった。

あるレース中、軽い心臓発作を起こした。

医師の診断で、なんと動脈の95%が血栓で詰まっていることがわかったのだ。

「これほどの健康体でなかったら、あなたは15年以上も前に亡くなっていてもおかしくはない。」

そう医師は言っていた。


つまり、ディックとリックはお互いの人生を救いあったというわけだ。


ある父の日の晩、

リックは父に夕食をおごる予定だ。

しかし、彼が本当に贈りたいものは

お金では決して買えないものだという。


「僕が一番あげたいものはね…、

今度は父さんを車椅子に座らせて、

一回でもいいから押してあげたいんだ。」

そう彼はタイプを打った。


〜〜〜


CAN「世界一の父」(日本語字幕付き)
http://www.youtube.com/watch?v=oukT0EsD47Y

RICK and DICK HOYT - The story of GREAT LOVE(英語字幕付き)
http://www.youtube.com/watch?v=Adubrj3yya8&feature=fvwrel


輝く未来ビトより
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Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 08:27│Comments(0)感動話
 
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