2013年01月07日
日本人としての誇り
《誇り》
平成三年、
日本傷痍(しょうい)軍人会代表団が
大東亜戦争の対戦国であったオランダを訪問した折、
同国の傷痍軍人代表と共に、首都アムステルダム市長主催の親善パーティに招待された。
当時の市長エドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)アムステルダム市長(後の内務大臣)は、
歓迎の挨拶で、実に良心的に大東亜戦争の真実を語った。
思いもよらぬ話に、日本の代表団は感激した。
これは、憲兵少尉のシベリア抑留経験者、
溝口平二郎(平成9年3月14日逝去)が録画していたのを、
後に、(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が文章に起こし、
平成6(1994)年3月24日作成したものである。
〓〓〓
あなた方日本は、
先の大戦で負けて、
私どもオランダは勝ったのに、
大敗しました。
今、日本は世界一、二を争う経済大国になりました。
私たちオランダは、その間
屈辱の連続でした。
すなわち、
(戦争で)勝ったはずなのに、
貧乏国になりました。
戦前はアジアに、
本国(オランダ)の36倍もの面積の植民地(オランダ領:東インド=ほぼ現在のインドネシア)があり、
石油などの資源産物で、本国は栄耀栄華(えいちょうえいが)を極めていました。
今のオランダは、日本の九州と同じ広さの本国だけになりました。
あなた方日本は、
アジア各地で侵略戦争を起こして
申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけた
と自分を蔑(さげす)み、ペコペコ謝罪していますが、
これは間違いです。
あなた方こそ、
自ら血を況(ま)して、
東亜民族(アジア諸国の民族)を解放し、救い出す、
人類最高の良いことをしたのです。
なぜなら、
あなたの国の人々は、
過去の歴史の真実を目隠しされて、
今次大戦の目先のことのみ取上げ、
あるいは洗脳されて、
悪いことをしたと、
自分で悪者になっているが、
ここで歴史を振り返って、
真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は私たち白人が悪いのです。
100年も200年も前から、
競って武力で東亜民族を征服し、
自分の領土として勢力下にしました。
植民地や属領にされて、
永い間奴隷的に酷使されていた
東亜諸民族を開放し、
共に繁栄しようと、
遠大にして崇高な理想を掲げて、
大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、
貴国、日本だったはずでしょう。
ほんとうに悪いのは、
侵略して、権力を振るっていた西欧人のはずです。
日本は敗戦したが、
その東亜の解放は実現しました。
すなわち日本軍は、戦勝国のすべてを、
東亜から追放して終わりました。
その結果、アジア諸民族は
各々独立を達成しました。
日本の功績は偉大です。
血を流して戦ったあなた方こそ、
最高の功労者です。
自分を蔑むのをやめて、
堂々と胸を張って、
その誇りを取り戻すべきです。
〓〓〓
参加者全員、思いがけない市長の発言に感激したのは言うまでもない。
この市長のように、ヨーロッパの文化人や識者は、
あの戦争は日本の方が勝ち、
攻めた白人のほうが負けて、
虎の子の植民地から追い出され、
西洋の古巣に戻されてしまったことを
知っているからである。
世界史的に大観すると、
大東亜戦争はアジアが西洋に勝った戦であり、
それはこの闘いをリードした唯一の独立国:日本の功績にほかならない。
「日本は負けて勝った」のである。
アジア諸国だけでなく、
戦勝国の多くの人達も、
大東亜戦争における日本の正当性を認めている。
現在、日本に謝罪と賠償を求めている国は、
日本と戦っていない共産党チャイナと南北朝鮮だけだ。
世界から見ても、日本の
「私たち日本が悪」
という自虐史観は異常である。
すべての日本人が真の誇りを取り戻し、
祖国を素直に愛せるようになることを願っている。
~~~
タイ・ククリット・プラモード 元首相は、
こんなことをおっしゃっています。
「日本のお陰で
アジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは
難産して母体をそこなったが
生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民が
アメリカやイギリスと対等に話ができるのは
一体誰のお陰であるのか。
それは
『身を殺して仁をなした』
日本というお母さんが
あった為である。
12月8日は我々に、
この重大な思想を示してくれたお母さんが
一身を賭して重大決意された日である。
更に8月15日は
我々の大切なお母さんが
病の床に伏した日である。
我々この2つの日を忘れてはならない。」
輝く未来ビトより
登録は空メールで
00576250s@merumo.ne.jp
平成三年、
日本傷痍(しょうい)軍人会代表団が
大東亜戦争の対戦国であったオランダを訪問した折、
同国の傷痍軍人代表と共に、首都アムステルダム市長主催の親善パーティに招待された。
当時の市長エドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)アムステルダム市長(後の内務大臣)は、
歓迎の挨拶で、実に良心的に大東亜戦争の真実を語った。
思いもよらぬ話に、日本の代表団は感激した。
これは、憲兵少尉のシベリア抑留経験者、
溝口平二郎(平成9年3月14日逝去)が録画していたのを、
後に、(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が文章に起こし、
平成6(1994)年3月24日作成したものである。
〓〓〓
あなた方日本は、
先の大戦で負けて、
私どもオランダは勝ったのに、
大敗しました。
今、日本は世界一、二を争う経済大国になりました。
私たちオランダは、その間
屈辱の連続でした。
すなわち、
(戦争で)勝ったはずなのに、
貧乏国になりました。
戦前はアジアに、
本国(オランダ)の36倍もの面積の植民地(オランダ領:東インド=ほぼ現在のインドネシア)があり、
石油などの資源産物で、本国は栄耀栄華(えいちょうえいが)を極めていました。
今のオランダは、日本の九州と同じ広さの本国だけになりました。
あなた方日本は、
アジア各地で侵略戦争を起こして
申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけた
と自分を蔑(さげす)み、ペコペコ謝罪していますが、
これは間違いです。
あなた方こそ、
自ら血を況(ま)して、
東亜民族(アジア諸国の民族)を解放し、救い出す、
人類最高の良いことをしたのです。
なぜなら、
あなたの国の人々は、
過去の歴史の真実を目隠しされて、
今次大戦の目先のことのみ取上げ、
あるいは洗脳されて、
悪いことをしたと、
自分で悪者になっているが、
ここで歴史を振り返って、
真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は私たち白人が悪いのです。
100年も200年も前から、
競って武力で東亜民族を征服し、
自分の領土として勢力下にしました。
植民地や属領にされて、
永い間奴隷的に酷使されていた
東亜諸民族を開放し、
共に繁栄しようと、
遠大にして崇高な理想を掲げて、
大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、
貴国、日本だったはずでしょう。
ほんとうに悪いのは、
侵略して、権力を振るっていた西欧人のはずです。
日本は敗戦したが、
その東亜の解放は実現しました。
すなわち日本軍は、戦勝国のすべてを、
東亜から追放して終わりました。
その結果、アジア諸民族は
各々独立を達成しました。
日本の功績は偉大です。
血を流して戦ったあなた方こそ、
最高の功労者です。
自分を蔑むのをやめて、
堂々と胸を張って、
その誇りを取り戻すべきです。
〓〓〓
参加者全員、思いがけない市長の発言に感激したのは言うまでもない。
この市長のように、ヨーロッパの文化人や識者は、
あの戦争は日本の方が勝ち、
攻めた白人のほうが負けて、
虎の子の植民地から追い出され、
西洋の古巣に戻されてしまったことを
知っているからである。
世界史的に大観すると、
大東亜戦争はアジアが西洋に勝った戦であり、
それはこの闘いをリードした唯一の独立国:日本の功績にほかならない。
「日本は負けて勝った」のである。
アジア諸国だけでなく、
戦勝国の多くの人達も、
大東亜戦争における日本の正当性を認めている。
現在、日本に謝罪と賠償を求めている国は、
日本と戦っていない共産党チャイナと南北朝鮮だけだ。
世界から見ても、日本の
「私たち日本が悪」
という自虐史観は異常である。
すべての日本人が真の誇りを取り戻し、
祖国を素直に愛せるようになることを願っている。
~~~
タイ・ククリット・プラモード 元首相は、
こんなことをおっしゃっています。
「日本のお陰で
アジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは
難産して母体をそこなったが
生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民が
アメリカやイギリスと対等に話ができるのは
一体誰のお陰であるのか。
それは
『身を殺して仁をなした』
日本というお母さんが
あった為である。
12月8日は我々に、
この重大な思想を示してくれたお母さんが
一身を賭して重大決意された日である。
更に8月15日は
我々の大切なお母さんが
病の床に伏した日である。
我々この2つの日を忘れてはならない。」
輝く未来ビトより
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Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 08:46│Comments(0)
│勉強になります