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2014年09月15日

天才とは?

1940年に広島で生まれました。


家は貧しく、母が一人で三人の子供を育て上げたという。


4歳の時に右手に大火傷を負い、小指、薬指、中指の一部を欠損。


野球選手として致命的な怪我だったが、


「プロ野球選手になり、母を二階建ての家に住まわせたい」


という一心で練習を続けたのです。


その甲斐あって、地元の段原中学二年のときからエースで四番を打ち、広島県大会で優勝。


その後、松本商業高校(現在の大体大浪商高校)に在学。


ここでもエースで四番を打ち、二年生の近畿大会では打率五割六分、本塁打11本というすばらしい成績を残した。


高校卒業後の1959年に東映フライヤーズ(現在の北海道日本ハム)へ入団。


開幕戦から六番レフトを任され、115安打、ホームラン13本を記録。


その年の新人王に選ばれた。


三年目の1961年には首位打者を獲得、翌年には当映画リーグ優勝、日本一を獲得した原動力になり、張本もシーズンMVPに輝いた。


そして、1972年八月十九日の西鉄ライオンズ戦で、史上七人目となる2000本安打を達成。


1976年、長嶋茂雄監督が率いる巨人に移籍。


永年のライバルだった王貞治とともにクリーンアップを打ち、巨人のリーグ連続優勝に貢献した。


1980年にロッテ(現在の千葉ロッテ)に移籍すると、同年5月に史上初の3000本安打を達成


翌1981年に引退し、1990年に野球殿堂を果たした。


彼を天才打者と呼ぶ人が多い。


「天才」という言葉は心地よいものだが、彼はそれを不快に思ったという。


なぜなら、彼が残した成績は努力の賜物だからである。


右手一本でトスバッティングをして筋力強化を図り、寝る間を惜しんで素振りを繰り返した。


その結果、広角打法を会得したのである。


ビジネスマンには・・・


「あいつは天才だから戦っても無理」


と言ってライバルとの勝負を諦めてしまう人がいる。


しかし、努力は天才に勝る結果を生み出すものだ。


あきらめるのは、死に物狂いの努力をしてからでも遅くわない。

(プロ野球選手 張本勲)


かつっ!と厳しいコメントを朝からしていますが

努力して結果を出して来たから

もっと頑張ればまだまだいける

『かつっ!』には、そんな想いがこもっているのでしょうね


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Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 08:41│Comments(0)勉強になります
 
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