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2014年01月12日

私はとても幸せだった

《私はとても幸せだった》

みっちゃんは中学に入って間もなく白血病を発症し、
入退院を繰り返しながら、厳しい放射線治療に耐えていました。


間もなくみっちゃんの頭髪は
薬の副作用ですべて抜け落ちてしまいました。



それでもみっちゃんは少し体調が良くなると

「学校へ行きたい」

といいました。



不憫に思った医師は家族にカツラの購入を勧め、
みっちゃんはそれを着用して通学するようになりました。



ところが、こういうことにすぐに敏感に気づく子供たちがいます。

皆の面前で後ろからカツラを引っ張ったり、
取り囲んで 「カツラ、カツラ」 「つるつる頭」 とはやし立てたり、
哀しいいじめが始まりました。



担任の先生が注意すればするほど、
いじめはエスカレートしていきました。



見かねた両親は

「辛かったら、行かなくってもいいんだよ」

と言うのですが、みっちゃんは挫けることなく
毎日学校に足を運びました。


つらいいじめの中でも頑張って学校に通ったのは

「友達を失いたくない」

という一心からでした。



二学期になると、クラスに一人の男の子が転校してきました。
その男の子は義足で、歩こうとすると身体が不自然に曲がってしまうのです。


この子もまた、いじめっ子たちの絶好のターゲットでした。



ある昼休み、いじめっ子のボスが、その歩き方を真似ながら、
ニタニタと笑って男の子に近づいて行きました。


またいじめられる。

誰もがそう思ったはずです。


ところが、男の子はいじめっ子の右腕をグッと掴み、
自分の左腕と組んで並んで立ったのです。


そして

「お弁当は食べないで、一時間、一緒に校庭を歩こう」。

毅然とした態度でそのように言うと、
いじめっ子を校庭に連れ出し、
腕を組んで歩き始めました。



クラスの仲間は何事が起きたのか
しばらくは呆然としていましたが、

やがて一人、二人と外に出て、
ゾロゾロと後について歩くようになったのです。


男の子は不自由な足を一歩踏み出すごとに
「ありがとうございます」と感謝の言葉を口に出していました。


その声が、仲間から仲間へと伝わり、
まるで大合唱のようになりました。


みっちゃんは黙って教室の窓から
この感動的な様子をみていました。





次の日、みっちゃんは
いつも学校まで車で送ってくれる両親と校門の前で別れた直後、
なぜかすぐに車に駆け寄っていきました。


そして付けていたカツラを車内に投げ入れると、
そのまま学校に向かったのです。



教室にはいると、皆の視線が
一斉にみっちゃんに集まりました。

しかし、ありのままの自分をさらす堂々とした姿勢に圧倒されたのでしょうか、
いじめっ子たちはあとづさりするばかりで、囃し立てる者は誰もいませんでした。



「ありがとう。あなたの勇気のおかげで、
自分を隠したり、カムフラージして生きることの惨めさがわかったよ」。


みっちゃんは晴れやかな笑顔で
何度も義足の男の子にお礼を言いました。



しばらくすると、クラスに変化が見られ始めました。
みっちゃんと足の不自由な男の子を中心として、
静かで穏やかな人間関係が築かれていったのです。


みっちゃんに死が訪れたのは
その年のクリスマス前でした。


息を引き取る直前、
みっちゃんは静かに話しました。



「私は二学期になってから、とても幸せだった。
あんなに沢山の友達に恵まれ、
あんなに楽しい時間を過ごせたことは本当の宝でした」と。

(「人生を照らす言葉」鈴木秀子著)







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Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 19:00│Comments(0)感動話
 
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