2013年09月14日
究極のスープ
《究極のスープ》
昭和50年ごろ、
鎌倉の荒れた中学校へ赴任したときのことでした。
みんなからゴムまりをひどくぶつけられるなどのいじめに遭い、
しゅん としている一年生の子がいました。
私は生徒指導担当として
「先生がついているから頑張りなさい!」
と励ましてきましたが、
3年生になると、
その子の姿をあまり学校で見かけなくなりました。
進路相談の行われた12月、
彼の母親が私の元へきてこう言いました。
「うちの子は休みが多く、点数が悪いから
どこの高校も受けられないと担任に言われました。」
そして、その母親は、
なぜ、その子が学校へ来なくなってしまったのかを
私に話してくれました。
その子はとても育ちの良い子だったのですが、
ある日、級友から
「お菓子を万引きしてこい!」
と命じられたのです。
学校へ行くとまた、
何を言いつけられるかわからないから、
次第に足が遠のいてしまったのだと。
私はその話を聞き、自責の念に駆られました。
そして、ある私立高校へ行き、
事情を話した上で、
「受験までに必要な勉強の基礎を、
全部私が責任をもって教えておきますから、
受験させて頂けませんでしょうか」
とお願いし、それ以来、
二人三脚での猛勉強の日々が始まったのです。
周囲に気づかれないよう、
辺りが暗くなってから彼の家で出かけ、
3時間みっちり教えては、
24時過ぎに帰宅する日々が続きました。
あんまりくたびれるので、
バスの中でついつい眠り込んでしまい、
「お客さん!終点ですよ!」
の声で起こされるのが日課でした。
その甲斐あって、
彼は高校に無事 合格し、
卒業後はイタリア料理店で働くようになりました。
その頃、わが家では、
主人が胃を全摘し、
肝臓がんも併発するなど、
闘病生活で体はひどく痩せ細っていました。
私は色んな種類のスープを作っては主人に飲ませるなどしていましたが、
私自身も疲労からくる、度々の目眩(めまい)に悩まされていたのです。
そんな日々を過ごしていたある日のこと、
その教え子が突然、訪ねてきました。
そして、彼は、
「ご主人様がご病気と聴いて、
チーフにスープの作り方を習って、持ってきました。
これ一袋で一食分の栄養が取れます」
と、一抱えもあるスープを手渡してくれたのです。
私は感激のあまり、
しばらく何も言葉が出ず、
「・・・・・・これが、本当の神様だわ」
とつぶやいて、
わんわんと声を出して泣いてしまいました。
するとその子は、
「先生、泣かないでください」
と私の背中を叩いて慰めてくれたのです。
それは、その子がまだ中一だったころ、
「みんなにいじめられても頑張るのよ!」
と私が肩を叩いて励ましたのと同じことのようでした。
その後も彼は、
スープがなくなるころになると家を訪ねてくれ、
お蔭で余命三ヶ月と言われた主人が、
三年も生きながらえることができました。
人間同士の世の中が、
そうしてお互いに尽くし合ってやっていけたら、
どんなによいだろう、と思った出来事でした。
私はこのスープを、
「究極のスープ」
と呼んでいます。
(月刊致知5月号:鈴木紋子さんのインタビュー記事を編集して掲載)
輝く未来ビトより
究極の恩返しだとおもいます
受けた恩を返せるとはある意味とても幸せなことだとも思いました
Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 18:54│Comments(0)
│感動話