てぃーだブログ ›  心の声 › 勉強になります › 命の尊厳

2013年05月31日

命の尊厳

《命の尊厳》

まだ20代の末期の肺がんの患者さんのお話。


彼はまだ若かったので、
最後の最期まで、濃厚な医療を希望していました。

「1%の可能性でもいいから、化学療法をやってくれ」

という要求をしていました。


私は彼のことでドクターと喧嘩になりました。

「先生!いくらなんでも、あの治療おかしくないか?
坊さんの私がいうのは失礼だけど、
あの治療ってあんまりじゃないか?」

先生も顔を真っ赤にして言い返します。

「いや、でも、患者さんが希望しています」

「あぁ、そう。
じゃあ、先生は患者さんが希望したら、
安楽死の薬物も打つんか?」

「いや、それはしません」


ドクターとは一緒に呑みに行く仲ですが、
昼間はこんな言い争いもするんです。

ドクターはもちろん、病棟のスタッフもみんな悩んでいました。


結局、患者さんは最後の最期まで濃厚な医療を望み続け、
亡くなる前の2日間は、

「お母さん、痛いよ、痛いよ。お母さん、助けて、痛いよ」

お母さんは、その横で、

「頑張って、がんばって」

と声を掛けるだけでした。


本人やご家族だけじゃなく、病棟のみんながつらかったです。



彼がなくなって3週間くらい経ったときでした。
若い女性の看護師さんが、

「私、この話は棺桶の中まで持っていくつもりでしたけど・・・・」

と言って話してくれたことがありました。


おそらく患者さんと年が近かった彼女にだけは
本音を打ち明けていたのでしょう。


彼は亡くなる前に、こう言っていたそうです。


「僕ね、助かりたくて治療を続けてるんじゃないんだよ。
僕だってもう、治らないのはわかっている。
でも、僕がどれだけわめいても、最後まで治療をしてね」

「どうして?」

「僕がもう治療をやめて と言ったら、
お母さんががっかりするから。

僕はお母さんががっかりする日を
1日でも延ばしたいんだ。
僕が今、母親にできることは
それしかない。

僕が、『痛いけど頑張る』 って言えば、
お母さんはそれを応援できるでしょ?」



その後、お母さんに話を聴く中で分かったのは、
お母さんはその息子の気持ちをわかっていたということでした。


「本当は、
『そこまでしなくていいから』
『もう頑張らなくていいから』
と言ってやりたかった。

でも、残された日が1日か2日か3日かわからないけれど、
息子が私のために頑張っているのに、
『もうやめて』 と言ったら、
残された日を息子はどんな想いで生きればいいか。
どんな希望をもって生きればいいか。

私はつらくても息子のその姿を見ているのが、
母親の役目だと思ったんです」


「でも、私も迷っていました。
本当は、『お母さんはもう十分よ。ありがとう!』
って、言ってやりたかったけど、
その後の息子のことを考えると・・・・」


「命の尊厳」

というものを突き詰めて考えると、
私たちが考えなければならないことは、
まだまだいっぱいあるような気がします。


「みやざき中央新聞」
臨床僧侶の長倉伯博さんのお話


メルマガ輝く未来ビトより



スポンサードリンク
同じカテゴリー(勉強になります)の記事
『子育て四訓』
『子育て四訓』(2015-03-15 10:32)

欠点は才能
欠点は才能(2015-03-10 07:53)


Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 13:54│Comments(0)勉強になります
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

スポンサードリンク