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2013年01月31日

一振りもせずに伝説になったバッター

《一振りもせずに伝説になったバッター》


甲子園のラッキーゾーンが取り払われて、

初めて行われた1992年のセンバツ大会。

松井は広くなった甲子園球場に、

3本のアーチを掛けて注目された。


だが、その名を社会的現象にまでしたのは

「超高校級」と呼ばれた、そのバットではなかった。



センバツから5か月後の夏。

ゴジラが新たな甲子園伝説を作る。


8月16日、

明徳義塾戦での

5打席連続敬遠。



得点圏に走者を置いた場面だけでなく、

走者がいなくても歩かされた。



松井は不満の表情を見せずに一塁へ歩いたが、

度が過ぎた作戦は、当時の牧野直隆高野連会長が

「高校野球はフェアプレーの精神でやるものです」

と異例のコメントを出すなど、社会問題にもなった。



宿舎に帰ると、

涙があふれ出した。


敬遠されたからではない。



試合に負けたことだけが

悔しかったのだ。



宿舎で号泣する松井に、

山下智茂監督が、


巨人時代に427度も敬遠されながら、

淡々と一塁へ歩き続けた“王”選手を引き合いに出して掛けた言葉を、

松井は今でも忘れないという。








「俺はお前の姿を見て、王さんを思い出したぞ」




あの経験が、

野球人としての松井の

原点になっているのは、

確かな事実だ。




「甲子園という大きな舞台で5回も敬遠されたのは、

後にも先にもないでしょう。

甲子園で打って伝説になったバッターはいっぱいいると思うんですが、

一振りもせずに伝説になったバッターは僕1人だと思います。


ということは、


どこかで5回敬遠された打者だった

というのを証明しなければいけない。


それが大きなエネルギーになって、

僕の体の中で流れ続けていると思うんです」


輝く未来ビトより
登録は空メールで00576250s@merumo.ne.jp

大きな逆境を自分の力に変える

とても凄いと思います





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Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 21:51│Comments(0)
 
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