2013年01月08日
黒い水の味
《黒い水の味》
私にとって、父との思い出は数えるほどしかない。
そんな中でも、薄暗い食堂で初めて飲んだ「黒い水」の味は、
今でも、そしてこれから先もずっと、忘れたくない思い出だ。
それは、今から40年以上も前の、私が小学校にあがる前、
父と昼食で入った食堂でのことだった。
テーブルに座ると、薄青いコップに入った黒い水が目の前に出てきた。
泡のようなツブがコップの底からゆらゆらと上にのぼっている。
「これ、飲んでもいい?」
父に聴いてみようと思ったが、
無口の父は、またきっと何も言ってくれないだろうなと思い、
私は恐る恐る口に入れてみた。
喉の奥で何かがはじけ、
甘酸っぱくて、なんとも言えない美味しさが
口の中に広がった。
今までにこんな感触の飲み物は飲んだことがなかった。
水なのかなんなのかさえわからなかったけど、
父に聴くことも、父の顔を見ることもできなかったことを覚えている。
私には父と話をした記憶がほとんど残っていない。
観光バスの運転手をしていた父は、
土日は仕事で、平日もたまにしか家にいなかった。
一緒にいる時間も少なく、キャッチボールをしたのもたしか2~3回だけ。
加えて、無口な父で、話しかけても答えが返ってこないこともあり、
幼い私は、父とどのように話せばよいかもわからなかった。
仕事がらなのか、父は車が好きだったことを覚えている。
新車にはなかなか手を出せない時代で、
中古車を何台も乗り換え、修繕しながら、
綺麗に磨きこんでとても大切に乗っていた。
生活がラクではなかったこともあり、
私の貯金を解約してまで車に入れ込んだこともあったと母から聞いた。
そんな父であったが、
小学校に入ってから、私の夢は、
早く大人になって車の免許をとり、
父と運転を交代しながら、旅をすることだった。
無口な父とも、いろんな話ができると思ったからだった。
ところが、
その夢は果たせないまま、父は病気で亡くなった。
後年、父を知る人に会い、父の話を聞く機会があった。
ある人は、「○○さんは、しぐさや話し方が恐ろしいぐらい似てるね」といい、
ある人は、
「君のお父さんは、すごく親切で、たまに面白いことをして人を笑わせる人だった」
と言った。
私の知らない父の姿がそこにはあった。
父が亡くなったあと、母は近所の工場で働き始めた。
時々、母に夕飯のパンを持っていき、母の姿を見ると、
作業着が油と塗料にまみれ、真っ黒になりながら、
きつい環境の中で働いていた。
そんな父と母のお蔭で、大学も卒業し、結婚もして3人の子どもの父親となった。
子どもたちから「おとうさん!」と呼ばれると、私はいつも「ビクッ!」とする。
私が言えなかった言葉を、この子たちは自然に言えるのだ。
小学校3年の時に父を亡くした私が、果たして父親になれるのか?
そんな自分自身への疑問が、長い間、私の心にずっと残っていた。
きっと、父親になることを恐れていたのだと思う。
だから、子どもたちから呼ばれるとビクッとするときがあるのだ。
「黒い水」を再び思い出したのは、
高校の時に友達がおごってくれたジュースだった。
それは、父と飲んだときと同じように、
シュワ―っとしたなんとも言えない喉ごしのグレープの炭酸飲料だった。
そのジュースを口にしたとき、
父との数少ない思い出が一気に溢れだしてきた。
懐かしいような、立ち返りたくないような
複雑な感情がたくさん蘇ってくる。
そして、最後は必ず、
「やっぱり父と会って話がしたい!」
という気持ちになる。
父の生きた月日を超えた今、父の気持ちが少しわかる気がする。
きっと、父は、私をビックリさせたくて、黒い水を飲ませてくれたんだと思う。
ビックリした顔を見て、驚かせ、私を笑顔にさせたかったんだと思う。
だから、今度、父と会う時には、笑顔で逢いたい。
その為に、今日も私は正々堂々と生きる。
黒い水の味とともによみがえる父との思い出。
父に話したいことがあるときには、黒い水を飲む。
そして、いつも心の中で私はこう叫んでいる。
「とうさん!これ、すっごくおいしいね!」
(つるさん)
輝く未来ビトより
登録は空メールで00576250s@merumo.ne.jp
私にとって、父との思い出は数えるほどしかない。
そんな中でも、薄暗い食堂で初めて飲んだ「黒い水」の味は、
今でも、そしてこれから先もずっと、忘れたくない思い出だ。
それは、今から40年以上も前の、私が小学校にあがる前、
父と昼食で入った食堂でのことだった。
テーブルに座ると、薄青いコップに入った黒い水が目の前に出てきた。
泡のようなツブがコップの底からゆらゆらと上にのぼっている。
「これ、飲んでもいい?」
父に聴いてみようと思ったが、
無口の父は、またきっと何も言ってくれないだろうなと思い、
私は恐る恐る口に入れてみた。
喉の奥で何かがはじけ、
甘酸っぱくて、なんとも言えない美味しさが
口の中に広がった。
今までにこんな感触の飲み物は飲んだことがなかった。
水なのかなんなのかさえわからなかったけど、
父に聴くことも、父の顔を見ることもできなかったことを覚えている。
私には父と話をした記憶がほとんど残っていない。
観光バスの運転手をしていた父は、
土日は仕事で、平日もたまにしか家にいなかった。
一緒にいる時間も少なく、キャッチボールをしたのもたしか2~3回だけ。
加えて、無口な父で、話しかけても答えが返ってこないこともあり、
幼い私は、父とどのように話せばよいかもわからなかった。
仕事がらなのか、父は車が好きだったことを覚えている。
新車にはなかなか手を出せない時代で、
中古車を何台も乗り換え、修繕しながら、
綺麗に磨きこんでとても大切に乗っていた。
生活がラクではなかったこともあり、
私の貯金を解約してまで車に入れ込んだこともあったと母から聞いた。
そんな父であったが、
小学校に入ってから、私の夢は、
早く大人になって車の免許をとり、
父と運転を交代しながら、旅をすることだった。
無口な父とも、いろんな話ができると思ったからだった。
ところが、
その夢は果たせないまま、父は病気で亡くなった。
後年、父を知る人に会い、父の話を聞く機会があった。
ある人は、「○○さんは、しぐさや話し方が恐ろしいぐらい似てるね」といい、
ある人は、
「君のお父さんは、すごく親切で、たまに面白いことをして人を笑わせる人だった」
と言った。
私の知らない父の姿がそこにはあった。
父が亡くなったあと、母は近所の工場で働き始めた。
時々、母に夕飯のパンを持っていき、母の姿を見ると、
作業着が油と塗料にまみれ、真っ黒になりながら、
きつい環境の中で働いていた。
そんな父と母のお蔭で、大学も卒業し、結婚もして3人の子どもの父親となった。
子どもたちから「おとうさん!」と呼ばれると、私はいつも「ビクッ!」とする。
私が言えなかった言葉を、この子たちは自然に言えるのだ。
小学校3年の時に父を亡くした私が、果たして父親になれるのか?
そんな自分自身への疑問が、長い間、私の心にずっと残っていた。
きっと、父親になることを恐れていたのだと思う。
だから、子どもたちから呼ばれるとビクッとするときがあるのだ。
「黒い水」を再び思い出したのは、
高校の時に友達がおごってくれたジュースだった。
それは、父と飲んだときと同じように、
シュワ―っとしたなんとも言えない喉ごしのグレープの炭酸飲料だった。
そのジュースを口にしたとき、
父との数少ない思い出が一気に溢れだしてきた。
懐かしいような、立ち返りたくないような
複雑な感情がたくさん蘇ってくる。
そして、最後は必ず、
「やっぱり父と会って話がしたい!」
という気持ちになる。
父の生きた月日を超えた今、父の気持ちが少しわかる気がする。
きっと、父は、私をビックリさせたくて、黒い水を飲ませてくれたんだと思う。
ビックリした顔を見て、驚かせ、私を笑顔にさせたかったんだと思う。
だから、今度、父と会う時には、笑顔で逢いたい。
その為に、今日も私は正々堂々と生きる。
黒い水の味とともによみがえる父との思い出。
父に話したいことがあるときには、黒い水を飲む。
そして、いつも心の中で私はこう叫んでいる。
「とうさん!これ、すっごくおいしいね!」
(つるさん)
輝く未来ビトより
登録は空メールで00576250s@merumo.ne.jp
Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 14:37│Comments(0)
│感動話