2012年09月07日
お母さんのやさしい手
《お母さんのやさしい手》
知里ちゃんが、母の優しい手に気付いたのは四年生のときだった。
母には義父にあたるおじいちゃんを病院に見舞ったときのことだ。
祖父七十二歳。 四年前に、がんセンターで大手術を受けた。
このごろ陶が苦しくて、さすってもらうようになっている。
「背中さすりましょうか」と母。
「すまんな。ああ気持ちいい」と祖父は目を閉じていた。
と、突然、苦しく吐きそうになる。
お父さん!だいじょうぶ口元にさっと母の手が差し出された。
「遠慮せずに吐いて。さあ早く」。
両手でおじいちゃんの吐いたものを受け取った。
知里ちゃんも思わず手を出し「おじいちゃん出して」。
帰り道、知里ちゃんは言う。
「普通ならごみ袋、ごみ袋って言うと思うの。お母さん偉い」。
家で父と話す。
「うん、お母さんには頭が下がる。実の親子でもなかなかできんね」。
母が言う。
「何が気持ち悪いの。お母さんが小さいとき、茜部(実家)のおばあちゃんも、おじいちゃんのおむつの世話してたのよ」。
父は母の手をぎゅっと握った。
知里ちゃんは言う。
「お母さんの手は世界で1番奇麗な手です」と。
『お母さんのやさしい手』という題で、知里ちゃんは、これを作文に書いています。
汚物が入った手は、目に見える世界では奇麗だとは言わない。
しかし、この女の子にはその手はお母さんの心を表した、大変奇麗なものに見えたのです。
こういうことをわかる人間でありたいと思います。
その上で、ひとのために尽くすときには、ローソクのようでありたい。
ローソクというのは、他のローソクに火を移しても、決して自分が暗くなることはないのです。
自分に与えられた命、炎をずっと燃やし続けていく。
周囲を明るくしながら、伝えながら。
そんな思いを、小学校六年の女の子が、こんなふうに作文に書いています。
『生きることの尊さ』という題です。
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先生にお父さんのいない子の話をしてもらいました。
私もお父さんを交通事故で亡くしました。
だから作文を書いた子どもの気持ちがとてもよくわかりました。
「あなたのお父さんはどんな仕事をしているの」と聞かれると胸が裂けそうになるほど辛くなります。
でも我慢して「お父さんいないのよ」と言います。
そうするとみなが「嘘でしょう。嘘でしょう」と言います。
嘘ならどんなにいいだろう。
嘘ならどんなにいいだろうとそう思います。
だけど家に帰ってみるとやっぱりお父さんはいないのです。
何故だかしらないけれど、ものすごく寂しくなることがあります。
手を引いて歩いてくれたお父さん。
肩車をしてくれたお父さん。
私の心の中に今も生きているのに、どうして声を出してくれないのですか。
きっとお母さんを大事にします。
そしてお父さんに喜んでもらえるローソクのような人間になりたいと思います。
きっときっとお母さんを大事にしますから。
「自分が好きですか」
林 覚乗 著
西日本新聞社より
魂が震える話より
登録は空メール送信で
00526431s@merumo.ne.jp
目で見える世界だけを見るのではなく心で感じる素敵な感性を持って居ると感じました
Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 20:07│Comments(1)
│感動話