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2012年02月21日

愛の詰まった弁当

子供の頃は親がいろいろしてくれるのは当たり前だと考えていたような気がする

親の愛をどれだけ気が付かずに過ごしてきたんだろう…

ーーーーーーーーーー

【お弁当】


小1の秋に母親が家を出ていき、

俺は親父の飯で育てられた。


当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、

また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、

飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、

ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたり

なんてこともあった。



小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。


俺は嫌でたまらず、一口も食べずに

友達にちょっとずつわけてもらったおかずと

持っていったお菓子のみで腹を満たした。


弁当の中身は道に捨ててしまった。


家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、

親父は俺が全部食べたと思い

涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、

「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」

と本当に嬉しそうな声と顔で言った。


俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。


でもその後の家庭訪問の時に、

担任の先生が俺が遠足で弁当を捨ててたことを親父に言った。


親父は相当なショックを受けてて、

でも先生が帰った後も怒鳴ったりはせずただ項垂れていた。


さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあって

その夜、早々に布団にもぐりこんだ。


でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い

親父のところに戻ろうとした。


流しのところの電気がついてたので

皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、


親父が読みすぎたせいか

ボロボロになった料理の本と

遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。


で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことを
したんだってことを自覚した。


でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、

謝ろうにもなかなか踏み出せない。


結局俺はまた布団に戻って、心の中で何回も謝りながら泣いた。


翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を
親父はまたぐりぐり撫でてくれて、

俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。



親父は去年死んだ。


親父が病院で息を引き取る間際、

俺は悲しいのと寂しいので頭が混乱しつつ、

涙と鼻水流しながら

「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、

ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」

と言うと、

親父はもう声も出せない状態だったけど

微かに笑いつつ頷いてくれた。


いまだに弁当のこととか

色々思い出し、切なくて申し訳なくて


泣きたくなる。。。


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Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 01:36│Comments(0)感動話
 
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