2011年11月26日
いつか又
感動して下さい
〜〜〜
NTT西日本コミュニケーション大賞より
「いつかまた」
奥山愛悠弥 作
〜〜〜
それは私が小学5年生のときのこと。
私はピアノの塾に通っていたのだが、家と塾との間に電話ボックスがあった。
ピアノの練習が終わって帰り道、
私は決まってその電話ボックスに入り、
話す相手もいないのに受話器を取り、
誰かと話をしているように独り言を言っていた。
何を思うでもなく、そんなことが習慣になっていた。
ある日の塾の帰り、私はいつものように電話ボックスに入って受話器を取った。
その時、”コンコン“と電話ボックスを叩く音がして振り向くと、クラスメイトのK君が立っていた。
私は急に恥ずかしくなり、慌てて受話器を置いて電話ボックスから飛び出た。
「誰と話をしていたの?」K君は言った。
「え、お、お母さん……」
誰とも話していないのに一人で話しているなんて知られたらどうしよう。
変わっていると思われる。
いや、すでに変か、と思いつつも嘘を答えた。
しかし、
「お金もカードも入れてないのに、どうやって話をしているの?」
と言われ、返す言葉がなくなった。
この会話をきっかけに私とK君は仲が良くなった。
K君も塾に通っているそうで、
帰り際私が電話ボックスに入るのをよく見かけていたらしく、
お金のいらない電話を不思議に思っていたらしい。
K君といえば、学校でいつも寝ているイメージがある。
よく先生に頭をたたかれながら起こされているのを見るのだ。
塾にも通っているし、疲れているのだな、
と思っていた。
しばらくして、K君は塾をやめてしまった。
一緒に帰ることもなくなったから、電話をするようになった。
学校ではたびたび寝ているK君も電話では元気で、私のピアノも上達したから、K君に聴かせる約束をした。
しかし、K君は学校を休みがちになった。
日に日に痩せて、同時に眠る時間も多くなっていた。
学校でピアノを聴かせても、いつの間にか寝ている。
何回も起こして何回弾いても、曲が終わった頃には寝ている。
さらに、電話しているときも寝るようになった。
返事が返ってこないのだ。
次第に電話もかかってこなくなり、学校に来てもK君は眠りっぱなしで話す機会がなくなってしまった。
残念に思いながら、先生に毎日怒られているのを見ていると胸が痛んだ。
K君は学校に来なくなった。
何日か過ぎて、私は先生からK君が入院したということを聞いた。
脳に障がいがあり、体の機能もうまく働かなくなって眠くなってしまう病気なのだと。
どうすれば良いのだろう。
何ができるだろうか。
お見舞いにも行ったけれど、容態が悪化していると言われ会うこともできなかった。
もう電話をすることもできない。
話をすることもできなくなり、私は自分の無力さが悔しくてたまらなかった。
数日後、K君は亡くなった。
病気の発覚が遅れたため、手術をしても助からなかった。
K君がいなくなって、私はピアノをやめた。
学校にもあまり行かなくなった。
K君が亡くなったことを認めるのが嫌だったからだ。
電話ボックスにも行かなくなった。
もう独りで話すことなどなかった。
しばらくして、私に一本の電話がきた。
K君の母からだった。
それはK君からの伝言で(遺言とも言うのかな)
「これからも電話をしてほしい」とのことだった。
ポッカリ空いた穴がふさがった気がした。
また、塾に通い始めた。
電話ボックスにも寄って、話をしている。
K君に向けて。
K君は私に電話で繋がることの大切さを教えてくれた。
電話は私に人との繋がりを教えてくれた。
それだけでなく、電話で繋がることのできない悲しさも教えてくれた。
高校生になった今も、これからもK君のことは忘れない。
出会いを与えてくれた電話に感謝したい。
ゆうの100人の1歩より
空メール登録は↓
00551553s@merumo.ne.jp
〜〜〜
NTT西日本コミュニケーション大賞より
「いつかまた」
奥山愛悠弥 作
〜〜〜
それは私が小学5年生のときのこと。
私はピアノの塾に通っていたのだが、家と塾との間に電話ボックスがあった。
ピアノの練習が終わって帰り道、
私は決まってその電話ボックスに入り、
話す相手もいないのに受話器を取り、
誰かと話をしているように独り言を言っていた。
何を思うでもなく、そんなことが習慣になっていた。
ある日の塾の帰り、私はいつものように電話ボックスに入って受話器を取った。
その時、”コンコン“と電話ボックスを叩く音がして振り向くと、クラスメイトのK君が立っていた。
私は急に恥ずかしくなり、慌てて受話器を置いて電話ボックスから飛び出た。
「誰と話をしていたの?」K君は言った。
「え、お、お母さん……」
誰とも話していないのに一人で話しているなんて知られたらどうしよう。
変わっていると思われる。
いや、すでに変か、と思いつつも嘘を答えた。
しかし、
「お金もカードも入れてないのに、どうやって話をしているの?」
と言われ、返す言葉がなくなった。
この会話をきっかけに私とK君は仲が良くなった。
K君も塾に通っているそうで、
帰り際私が電話ボックスに入るのをよく見かけていたらしく、
お金のいらない電話を不思議に思っていたらしい。
K君といえば、学校でいつも寝ているイメージがある。
よく先生に頭をたたかれながら起こされているのを見るのだ。
塾にも通っているし、疲れているのだな、
と思っていた。
しばらくして、K君は塾をやめてしまった。
一緒に帰ることもなくなったから、電話をするようになった。
学校ではたびたび寝ているK君も電話では元気で、私のピアノも上達したから、K君に聴かせる約束をした。
しかし、K君は学校を休みがちになった。
日に日に痩せて、同時に眠る時間も多くなっていた。
学校でピアノを聴かせても、いつの間にか寝ている。
何回も起こして何回弾いても、曲が終わった頃には寝ている。
さらに、電話しているときも寝るようになった。
返事が返ってこないのだ。
次第に電話もかかってこなくなり、学校に来てもK君は眠りっぱなしで話す機会がなくなってしまった。
残念に思いながら、先生に毎日怒られているのを見ていると胸が痛んだ。
K君は学校に来なくなった。
何日か過ぎて、私は先生からK君が入院したということを聞いた。
脳に障がいがあり、体の機能もうまく働かなくなって眠くなってしまう病気なのだと。
どうすれば良いのだろう。
何ができるだろうか。
お見舞いにも行ったけれど、容態が悪化していると言われ会うこともできなかった。
もう電話をすることもできない。
話をすることもできなくなり、私は自分の無力さが悔しくてたまらなかった。
数日後、K君は亡くなった。
病気の発覚が遅れたため、手術をしても助からなかった。
K君がいなくなって、私はピアノをやめた。
学校にもあまり行かなくなった。
K君が亡くなったことを認めるのが嫌だったからだ。
電話ボックスにも行かなくなった。
もう独りで話すことなどなかった。
しばらくして、私に一本の電話がきた。
K君の母からだった。
それはK君からの伝言で(遺言とも言うのかな)
「これからも電話をしてほしい」とのことだった。
ポッカリ空いた穴がふさがった気がした。
また、塾に通い始めた。
電話ボックスにも寄って、話をしている。
K君に向けて。
K君は私に電話で繋がることの大切さを教えてくれた。
電話は私に人との繋がりを教えてくれた。
それだけでなく、電話で繋がることのできない悲しさも教えてくれた。
高校生になった今も、これからもK君のことは忘れない。
出会いを与えてくれた電話に感謝したい。
ゆうの100人の1歩より
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Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 23:31│Comments(0)
│感動話