2011年03月30日
希望の種
危機的状況の中の希望
村上龍
先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く
新宿のホテルにチェックインした。普段から私はここに週3~4日滞在
し執筆活動やその他の仕事をしている。
部屋に入ってすぐに地震が起きた。瓦礫の下敷きになると判断し、と
っさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下に
もぐりこんだ。今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになっ
たらブランデーを楽しむどころではないのだが。だが、この行動によ
ってパニックに陥らずにすんだ。
すぐに館内放送で地震警報が流れた。「このホテルは最強度の耐震構
造で建設されており、建物が損傷することはありません。ホテルを出
ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。最初は
私も多少懐疑的だった。ホテル側がゲストを安心させようとしている
だけではないのかと。
だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを
決めた。少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々
や機関からの情報を信頼すべきだ。だからこの建物も崩壊しないと信
じる、と。そして、建物は崩壊しなかった。
日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに
協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証
明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、
略奪も起きていない。
しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まる
で体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米
やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタ
ンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き
起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。
現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。
スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだ
という説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできている
ので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が
抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと
忠告してきた。
東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」
という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリ
のような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れ
ているから大丈夫だ」という人もいる。
私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつも
りはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼
らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。
今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつ
もりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインタ
ーネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見
や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客
観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。
私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面があ
る。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない」と。
今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化
している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされ
ており、政府や電力会社は対応が遅れている。
だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私
たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われて
いた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。
原文
www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html
編集部注:小説の場面訳は『希望の国のエクソダス』より
ニート・不登校や引きこもり、生きる意味を見つけられずに居る人たち
人生に希望を見つけることが出来ない
そんな人たちは、今の不自由の無い生活が当たり前だと思っている
しかし、当たり前なんて無い
当たり前がなくなったとき
初めて気付くのかも
生きる意味を
人は生きているんじゃない
生かされている
自分は何のために生かされている?
そんなことを自問自答して答えを探す
その答えはやがて志となる
志を持った人の心には希望の芽が育ち始める
こんなことを感じました
不自由を感じない毎日が奪うもの
それは生きる力なのかもしれませんね
村上龍
先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く
新宿のホテルにチェックインした。普段から私はここに週3~4日滞在
し執筆活動やその他の仕事をしている。
部屋に入ってすぐに地震が起きた。瓦礫の下敷きになると判断し、と
っさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下に
もぐりこんだ。今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになっ
たらブランデーを楽しむどころではないのだが。だが、この行動によ
ってパニックに陥らずにすんだ。
すぐに館内放送で地震警報が流れた。「このホテルは最強度の耐震構
造で建設されており、建物が損傷することはありません。ホテルを出
ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。最初は
私も多少懐疑的だった。ホテル側がゲストを安心させようとしている
だけではないのかと。
だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを
決めた。少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々
や機関からの情報を信頼すべきだ。だからこの建物も崩壊しないと信
じる、と。そして、建物は崩壊しなかった。
日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに
協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証
明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、
略奪も起きていない。
しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まる
で体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米
やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタ
ンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き
起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。
現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。
スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだ
という説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできている
ので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が
抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと
忠告してきた。
東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」
という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリ
のような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れ
ているから大丈夫だ」という人もいる。
私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつも
りはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼
らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。
今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつ
もりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインタ
ーネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見
や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客
観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。
私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面があ
る。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない」と。
今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化
している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされ
ており、政府や電力会社は対応が遅れている。
だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私
たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われて
いた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。
原文
www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html
編集部注:小説の場面訳は『希望の国のエクソダス』より
ニート・不登校や引きこもり、生きる意味を見つけられずに居る人たち
人生に希望を見つけることが出来ない
そんな人たちは、今の不自由の無い生活が当たり前だと思っている
しかし、当たり前なんて無い
当たり前がなくなったとき
初めて気付くのかも
生きる意味を
人は生きているんじゃない
生かされている
自分は何のために生かされている?
そんなことを自問自答して答えを探す
その答えはやがて志となる
志を持った人の心には希望の芽が育ち始める
こんなことを感じました
不自由を感じない毎日が奪うもの
それは生きる力なのかもしれませんね
Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 22:13│Comments(0)
│感動話