2011年03月06日
無償の愛を感じてください
俺には母親がいない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。
産まれたときから耳が聞こえなかった俺は
物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。
耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたが、
片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が
あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。
その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、
やがて障害があるということがその理由だとわかると
俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。
だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。
なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。
手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、
ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。
その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。
そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。
俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。
何度も悩み相談にのってくれた。
俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、
咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。
そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、
泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。
長い愚痴のような相談の途中、
多分 「死にたい」 という事を手話で表した時だと思う。
先生は急に怒り出し、
俺の頬をおもいっきり殴った。
俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。
先生は泣いていた。
そして俺を殴ったその震える手で、
静かに話し始めた。
ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。
そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。
「君は不思議に思わなかったのかい。
君が物心ついた時には、もう手話を使えていたことを」
たしかにそうだった。
俺は特別に手話を習った覚えはない。
じゃあなぜ・・・
「君の父親は僕にこう言ったんだ。
『声と同じように僕が手話を使えば、
この子は普通の生活を送れますか?』
驚いたよ。
確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。
だが声と同じように手話が使えるのなら、
もしかしたら・・・
でもそれは決して簡単な事じゃない。
その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。僕はそう伝えた。
その無謀な挑戦の結果は、君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」
聞きながら涙が止まらなかった。
父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだった。
俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。
俺が間違っていた。
父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。
誰よりも俺の悲しみを知っていた。
そして誰よりも俺の幸せを願っていた。
濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。
なんて馬鹿なことをしたのだろう。
あの人は俺の親なのだ。
耳が聞こえないことに負けたくない。
父さんが負けなかったように。
幸せになろう。そう心に決めた。
今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。
俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。
父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。
そして遺影を見たまま話し始めた。
俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」
父さんは強くうなずいて、約束した。
でもしばらくして俺に異常が見つかったそうだ。
「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって
約束を守れないんじゃないかってなぁ。
でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。
なぁ…母さん。」
最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。
俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。
「ありがとうございました!」
俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。
父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。
俺、いま幸せだよ。
ゆうの100人の1歩より
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。
産まれたときから耳が聞こえなかった俺は
物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。
耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたが、
片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が
あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。
その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、
やがて障害があるということがその理由だとわかると
俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。
だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。
なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。
手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、
ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。
その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。
そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。
俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。
何度も悩み相談にのってくれた。
俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、
咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。
そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、
泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。
長い愚痴のような相談の途中、
多分 「死にたい」 という事を手話で表した時だと思う。
先生は急に怒り出し、
俺の頬をおもいっきり殴った。
俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。
先生は泣いていた。
そして俺を殴ったその震える手で、
静かに話し始めた。
ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。
そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。
「君は不思議に思わなかったのかい。
君が物心ついた時には、もう手話を使えていたことを」
たしかにそうだった。
俺は特別に手話を習った覚えはない。
じゃあなぜ・・・
「君の父親は僕にこう言ったんだ。
『声と同じように僕が手話を使えば、
この子は普通の生活を送れますか?』
驚いたよ。
確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。
だが声と同じように手話が使えるのなら、
もしかしたら・・・
でもそれは決して簡単な事じゃない。
その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。僕はそう伝えた。
その無謀な挑戦の結果は、君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」
聞きながら涙が止まらなかった。
父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだった。
俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。
俺が間違っていた。
父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。
誰よりも俺の悲しみを知っていた。
そして誰よりも俺の幸せを願っていた。
濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。
なんて馬鹿なことをしたのだろう。
あの人は俺の親なのだ。
耳が聞こえないことに負けたくない。
父さんが負けなかったように。
幸せになろう。そう心に決めた。
今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。
俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。
父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。
そして遺影を見たまま話し始めた。
俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」
父さんは強くうなずいて、約束した。
でもしばらくして俺に異常が見つかったそうだ。
「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって
約束を守れないんじゃないかってなぁ。
でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。
なぁ…母さん。」
最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。
俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。
「ありがとうございました!」
俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。
父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。
俺、いま幸せだよ。
ゆうの100人の1歩より
Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 17:22│Comments(14)
│感動話
この記事へのコメント
足跡から、おじゃまさせていただきました
とても感動しました
とても感動しました
Posted by サラダボウル at 2011年03月06日 21:05
サラダボウルさんこんにちは
私も涙が・・・
感動話は心を耕してリフレッシュさせてくれると思います
ぜひ日ごろの疲れた心を感動話で解してあげてくださいね
コメントありがとうございます
私も涙が・・・
感動話は心を耕してリフレッシュさせてくれると思います
ぜひ日ごろの疲れた心を感動話で解してあげてくださいね
コメントありがとうございます
Posted by 毎日コツコツ at 2011年03月07日 00:16
足跡からおじゃましますね。
「幸せは 自分の心がきめる」は、私も好きな言葉で、前にペン習字の発表展示会に出させて頂くほど好きな言葉です。
その言葉を 見た時に、同じだぁ~と親近感が勝手に(^^ゞ思ってしまいました。勝手にごめんなさいね
そして読ませて頂いて、なんて心のきれいな人なんだろぉ~と感動してしまいました。
きっと仁徳ですね。
応援してます♪
「幸せは 自分の心がきめる」は、私も好きな言葉で、前にペン習字の発表展示会に出させて頂くほど好きな言葉です。
その言葉を 見た時に、同じだぁ~と親近感が勝手に(^^ゞ思ってしまいました。勝手にごめんなさいね
そして読ませて頂いて、なんて心のきれいな人なんだろぉ~と感動してしまいました。
きっと仁徳ですね。
応援してます♪
Posted by *いちごみゆ* at 2011年03月07日 00:20
おはようございます。
足跡からおじゃましました。
涙がこぼれました。
「お父さん命を与えてくれてありがとう」
「お母さん私を生んでくれてありがとう」
って、今は亡き両親に ココロで伝えましたよ。
朝、貴方のブログに出会って 感謝!
今日もいい日です。
では又 おじゃましまーーす。
足跡からおじゃましました。
涙がこぼれました。
「お父さん命を与えてくれてありがとう」
「お母さん私を生んでくれてありがとう」
って、今は亡き両親に ココロで伝えましたよ。
朝、貴方のブログに出会って 感謝!
今日もいい日です。
では又 おじゃましまーーす。
Posted by hiisa at 2011年03月07日 08:23
毎日こつこつさん♪
貴重なお話をありがとうございます。
涙が止まりません・・・
最愛の奥様としあわせを築いてください。
貴重なお話をありがとうございます。
涙が止まりません・・・
最愛の奥様としあわせを築いてください。
Posted by korino at 2011年03月07日 17:31
毎日コツコツさんへ
僕は将来現在障害者と言われる方々が明るく前向きに冗談言い合って生きられる社会になって欲しいと思っています。
例えば車椅子を使っている方を見たら かわいそう ではなく何か手伝えそうなことがあればやろうとか、車椅子を使っている方が困った時に何かを頼みやすいくらいに受け入れや助け合える環境が出来ていたらと思っています。
今は社会的格差というか弱者扱いがあり、腫れ物に触るような部分があるように思います。
失礼がございましたら申し訳ございません。
今回素晴らしいお話をちょうだいしましたので今後の糧とさせていただきます
ありがとうございました。
ちなみに私も癌で精巣が片方ありません。
個性として受け止めています
僕は将来現在障害者と言われる方々が明るく前向きに冗談言い合って生きられる社会になって欲しいと思っています。
例えば車椅子を使っている方を見たら かわいそう ではなく何か手伝えそうなことがあればやろうとか、車椅子を使っている方が困った時に何かを頼みやすいくらいに受け入れや助け合える環境が出来ていたらと思っています。
今は社会的格差というか弱者扱いがあり、腫れ物に触るような部分があるように思います。
失礼がございましたら申し訳ございません。
今回素晴らしいお話をちょうだいしましたので今後の糧とさせていただきます
ありがとうございました。
ちなみに私も癌で精巣が片方ありません。
個性として受け止めています
Posted by 琉球愛(るくあ) at 2011年03月07日 21:46
こんばんわ!!
足あとからおじゃましました。
最初「毎日コツコツ」さんの話かと思って読んでました。
「人の思い」を知ることができるのは
親子の間でも
素晴らしい事だと思います。
今日は休む前に
とてもやさしい気持ちになれそうです。^^
足あとからおじゃましました。
最初「毎日コツコツ」さんの話かと思って読んでました。
「人の思い」を知ることができるのは
親子の間でも
素晴らしい事だと思います。
今日は休む前に
とてもやさしい気持ちになれそうです。^^
Posted by くんちゃん88 at 2011年03月07日 22:37
こんばんわぁ~
初めまして、足跡からたまにお邪魔してます。
心が打たれました><
涙が・・
今ある幸せを本当大切にしていきます。
ありがとうございました^^
初めまして、足跡からたまにお邪魔してます。
心が打たれました><
涙が・・
今ある幸せを本当大切にしていきます。
ありがとうございました^^
Posted by モンスターキッチン at 2011年03月08日 00:27
素敵なお話をありがとう。。
心がリセットできました^^
心がリセットできました^^
Posted by kame. at 2011年03月09日 00:32
こんばんわm(__)m
今回の記事も、前回の記事も読みながら涙が出てきました
人はみんな色んな想いを抱えて生きているんだと・・・
その思いが思うように伝わらない・・・そんな時もありますよね
いつもありがとうございますm(__)m
今回の記事も、前回の記事も読みながら涙が出てきました
人はみんな色んな想いを抱えて生きているんだと・・・
その思いが思うように伝わらない・・・そんな時もありますよね
いつもありがとうございますm(__)m
Posted by たかりんこ at 2011年03月09日 01:15
すごく感動しました。
読ませて頂きながら色々な事を考えさせられました。
今日、このブログに出会えた事に
感謝。
読ませて頂きながら色々な事を考えさせられました。
今日、このブログに出会えた事に
感謝。
Posted by hinode at 2011年03月09日 01:15
みなさんこんにちは
スミマセン放置プレイを・・・
メッセージは読んでいるのですがPCの前で返事を書く時間が取れなくてすみません
いい話がありましたらまた載せますね
コメント有り難うございます
被災地の人達にみんなで出来る事をしましょうね
スミマセン放置プレイを・・・
メッセージは読んでいるのですがPCの前で返事を書く時間が取れなくてすみません
いい話がありましたらまた載せますね
コメント有り難うございます
被災地の人達にみんなで出来る事をしましょうね
Posted by 毎日コツコツ at 2011年03月17日 23:02
勉強になります!!
Posted by Black Magic Woman at 2011年03月28日 13:06
Black Magic Womanさんこんにちは
わたしも勉強中です
人生出会う人みな師匠と思いながら
コメントありがとうございます
わたしも勉強中です
人生出会う人みな師匠と思いながら
コメントありがとうございます
Posted by 毎日コツコツ at 2011年03月30日 23:20