59歳の新任教師
59歳で新任教師
大切なのは年齢ではなく熱い想い
そんな事を気付かせていただきました
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伝説の名コーチと言われた
高畠導宏(たかばたけみちひろ)さんのお話。
高畠さんをモデルにし、
数年前にNHKのドラマ『フルスイング』
でご存じの方もいるかもしれません。
29歳の頃から打撃コーチとして30年間、
計7つの球団を渡り歩き、
南海の藤原、ロッテの落合、高沢、西村、
最近では、イチローや田口壮、小久保など、
30人以上のタイトルホルダーを育て上げてきました。
1967年に南海ホークスからドラフト5位で指名を受け、
23歳にしてプロ入りを果たします。
入団当時の監督を務めていた鶴岡一人さんは、
後年、当時のことを振り返り、
このようなことを話しています。
「高畠君は左の強打者として期待した一方で、
指導者としての能力も買っていた。
彼が引退して、早く指導者になったのは
成功だったと思う」
そう。
高畠さんのプロ野球選手としての生活は、
わずか、5年で幕を閉じることになったのです。
その原因は、入団時の春季キャンプで、
スライディングの練習をしていた際、
左肩を脱臼し、それが後々まで影響してしまったのです。
29歳でコーチに就任後、
数多くの名選手を育て上げてきた高畠さんですが、
「球界きってのアイデアマン、
そして打者の親身になってくれる情熱家」
として、数多くの選手から慕われていました。
コーチとして、こんなことを大切にしていたと言います。
『コーチの仕事は”教えないこと”』
『欠点を直すよりも長所を伸ばす』
選手の個性を尊重し自主性を重んじ、
迷った時にアドバイスをする。
この高畠さんの姿勢は、
こんなところでもぶれることがありませんでした。
30年にわたり、プロ野球界で
一流の選手たちを育ててきた高畠さんは、
50代にして一念発起し、
通信教育で教職の勉強を始めると、
教員免許を取得。
引く手あまたのプロ野球からの誘いを断って、
念願だった、高校教師の道を歩んでゆくのです。
福岡県の私立筑紫台高校に、
新人教師として着任したのは、
一般的には、定年間近の59歳のときでした。
「野球部を甲子園に連れて行きたい!」
それが高畠さんの夢だったのです。
着任した当時、
周囲の同僚の先生方からは、
「ほんとに続くんだろうか?」
という懐疑的な目もあったようですが、
時を重ねるごとに、その不安は消えていったといいます。
「剣道部を全国で優勝させたい!」
と考えていた先生に、高畠さんはこんなアドバイスをしたそうです。
「コーチは教えないことなんですよ」
しかし、プロ野球経験者は、
2年間はアマチュアチームのコーチにはなれないという規則があります。
逸る気持ちを抑えつつも、
きっとその時がくることを、
ワクワクしながら待っていたのだと思います。
ところが・・・
教師になってわずか1年後のことでした。
「すい臓ガン」で余命半年という、
高畠さんにとっては、残酷だと思える診断を受けるのです。
教師として迎えた最後の授業で、
生徒たちにこう伝えました。
「自分の生き様は、
他の人にも参考になるかも知れない。
自分も闘ってくる。」
そう言って自宅のある東京に戻り、
闘病生活を過ごしますが、
2004年(平成16年)、7月永眠。
高畠先生が高校の教師として教えたかった
「人間も作りたい」
「高校日本一が人生の最終目標になってはいけない」
「いい選手である前に、いい人間であって欲しい」
は、後任の方に引き継がれていきました。
福岡ソフトバンクの小久保選手は、
こんな高畠さんの意志を継ぎたいと考えているのだと思います。
最後に、高畠さんの残した
『成功のための7ヶ条』
をご紹介します。
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1素直であること。
2好奇心おう盛であること。
3忍耐があり、あきらめないこと。
4準備を怠らないこと。
5きちょうめんであること。
6気配りができること。
7夢を持ち、目標を高く設定することができること。
メルマガ【輝く未来ビト】より
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