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Posted by TI-DA at

2015年09月22日

君が代の想いが素晴らしすぎますね

【小さい石が合わさり巌となる】


ストレスマネジメント研究家の堀北祐司さんは、

企業でクレーム対応をしているとき、

毎日のように、お客様や上司から叱責され、

その一言一句が、夜寝るときまで頭の中をぐるぐる巡り眠れない日々が続いていた。

お笑い番組をみても、なかなか笑うことさえできなかった。

「まいったなぁ」と思いながらテレビのチャンネルを変えると、

NHKの放送終了時に流れる国家「君が代」が流れてきた。



「我が君は 

千代に八千代に

さざれ石の

巌(いわお)となりて

苔(こけ)のむすまで」


堀北さんは君が代の歌詞のもとになった「古今和歌集」の歌にとても興味が湧いた。



意味を調べると、

細かく小さな「さざれ石」が岩のように大きくなり、

苔が苔がつくまで、いつまでも平和で繁栄しますように、

という意味だとわかった。


そして実際に、さざれ石が見られる滋賀県の岡神社に行くことにした。

神社の宮司さんがこんな話をしてくれた。




「さざれ石は、最初は本当に小さい石ですが、

長い長い、気が遠くなるほどの年月を重ね、

石と石が合わさり大きくなっていくのです。


欧米では、ローリングストーンといって、

石は削られ小さくなっていくものと理解されています。

でも、日本の「君が代」では、

小さな石がだんだん大きくなり、体積が増える

と歌っているのです。


これはたぶん、日本独特の考え方です。


それはつまり、細かい石を一人ひとりと考え、

それが合わさって巌となっていく。

過去と現在と未来が一つになって初めて巌ができる。

つまり、「みんな必要な人間」だと教えているのです。」

みやざき中央新聞より  


Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 17:10Comments(0)今思った事 考えた事

2015年05月09日

3匹の像



上野の動物園は、桜の花盛りです。風にぱっと散る花。
お日様に光り輝いて咲く花。
お花見の人たちがどっと押し寄せて、動物園は、砂埃を巻き上げて混み合っていました。
象の檻の前の広場では、今、2頭の象が、芸当の真っ最中です。
長い鼻を、天に向けて、日の丸の旗を振ったり、カラランランと鈴を振り鳴らしたり、
よたよたと、丸太渡りをしたりして、大勢の見物人を、わあわあと喜ばせています。
 その賑やかな広場から、少し離れた所に、一つの石のお墓があります。
あまり気の付く人はありませんが、動物園で死んだ動物たちを、お祭りしてあるお墓です。
お天気の良い日は、いつも、暖かそうに、お日様の光を浴びています。



ある日。
動物園の人が、その石のお墓をしみじみと撫で回して、
わたくしに、哀しい象の物語を聞かせてくれました。
今、動物園には、三頭の象がいます。
名前を、インデラ、ジャンポー、メナムといいます。
けれども、その前にも、やはり三頭の象がいました。
名前を、ジョン、トンキー、ワンリーといいました。
その頃、日本は、アメリカと戦争をしていました。
戦争がだんだん激しくなって、東京の街には、毎日毎晩、
爆弾が雨のように振り落とされてきました。
その爆弾が、もしも、動物園に落ちたら、どうなることでしょう。
檻が壊されて、恐ろしい動物たちが街へ暴れ出したら、大変なことになります。
そこで、ライオンも、トラも、ヒョウも、クマも大蛇も、 
毒を飲ませて殺したのです。



三頭の象も、いよいよ殺されることになりました。
まず第一に、いつも暴れん坊で、言う事を聞かない、
ジョンから始めることに成りました。
ジョンは、ジャガイモが大好きでした。ですから、毒薬を入れたジャガイモを、
普通のジャガイモに混ぜて、食べさせました。けれども、利口なジョンは、
毒のジャガイモを口まで持っていくのですが、すぐに長い鼻で、
ポンポンと、遠くへ投げ返してしまうのです。
 仕方なく、毒薬を身体へ注射することになりました。
 馬に使う、とても大きな注射の道具と、太い注射の針が支度されました。
 ところが、象の身体は、大変皮が厚くて、
太い針は、どれもぽきぽきと折れてしまうのでした。
仕方なく食べ物を一つもやらずにいますと、可愛そうに、十七日目に死にました。



続いて、トンキーと、ワンリーの番です。
この二頭の象は、いつも、可愛い目をじっと見張った、心の優しい象でした。
ですから、動物園の人たちは、この二頭を、何とかして助けたいと考えて、
遠い仙台の動物園へ、送ることに決めました。
けれども、仙台の町に、爆弾が落とされたらどうなるでしょう。
仙台の街へ、象が暴れ出たら、東京の人たちがいくらごめんなさいと謝っても、
もうだめです。そこで、やはり、上野の動物園で殺すことになりました。
毎日、餌をやらない日が続きました。トンキーも、ワンリーも、
だんだん痩せ細って、元気が無くなっていきました。
時々、見回りに行く人を見ると、よたよたと立ち上がって、
「餌をください。」
「食べ物をください。」
と、細い声を出して、せがむのでした。
そのうちに、げっそりと痩せこけた顔に、あの可愛い目が、
ゴムまりのようにぐっと飛び出してきました。
耳ばかりが物凄く大きく見える哀しい姿に変わりました。



今まで、どの象も、自分の子供のように可愛がってきた象係の人は、
「可哀相に。可愛そうに。」と、
檻の前を行ったり来たりして、うろうろするばかりでした。
すると、トンキーと、ワンリーは、ひょろひょろと身体を起して、
象係の前に進み出たのでした。
お互いにぐったりとした身体を、背中で凭れ合って、芸当を始めたのです。
後ろ足で立ち上がりました。
前足を折り曲げました。
鼻を高く上げて、万歳をしました。
萎び切った身体中の力を振り絞って、芸当を見せるのでした。
芸当をすれば、昔のように、餌がもらえると思ったのです。
トンキーも、ワンリーも、よろけながら一生懸命です。


象係の人は、もう我慢できません。
「ああ、ワンリーや、トンキーや。」
と、餌のある小屋へ飛び込みました。そこから走り出て、水を運びました。
餌を抱えて、象の脚に抱きすがりました。
動物園の人たちは、みんなこれを見てみないふりをしていました。
園長さんも、唇を噛み締めて、じっと机の上ばかり見つめていました。
象に餌をやってはいけないのです。水を飲ませてはならないのです。
どうしても、この二頭の象を殺さなければならないのです。
けれども、こうして、一日でも長く生かしておけば、戦争も終わって、
助かるのではないかと、どの人も心の中で、神様にお願いをしていました。
 けれども、トンキーも、ワンリーも、ついに動けなくなってしまいました。
じっと身体を横にしたまま、動物園の空に流れる雲を見つめているのがやっとでした。



こうなると、象係の人も、もう胸が張り裂けるほどつらくなって、象を見に行く元気がありません。
他の人も苦しくなって、象の檻から遠く離れていました。
ついに、ワンリーは十幾日目に、トンキーは二十幾日目に、どちらも、
鉄の檻にもたれながら、やせこけた鼻を高く伸ばして、
万歳の芸当をしたまま死んでしまいました。
「象が死んだあ。象が死んだあ。」
象係の人が、叫びながら、事務所に飛び込んで飛び込んできました。
拳骨で机を叩いて、泣き伏しました。
動物園の人たちは、象の檻に駆け集まって、みんなどっと檻の中へ転がり込みました。
象の身体にとりすがりました。象の身体を揺さぶりました。
みんな、おいおいと声をあげて泣き出しました。その頭の上を、
またも爆弾を積んだ敵の飛行機が、ごうごうと東京の空に攻め寄せてきました。
 どの人も、象に抱きついたまま、こぶしを振り上げて叫びました。
「戦争をやめろ。」
「戦争をやめてくれえ。やめてくれえ。」

後で調べますと、盥位もある大きな象の胃袋には、
一滴の水さえも入っていなかったのです。
その三頭の象も、今は、このお墓の下に、静かに眠っているのです。
動物園の人は、目を潤ませて、私にこの話をしてくれました。
そして、吹雪のように、桜の花びらが散り掛かってくる石のお墓を、
いつまでも撫でていました。  


Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 07:09Comments(0)感動話感動、学びの動画

2015年04月24日

【今まで知らなかった妻の習慣】

【今まで知らなかった妻の習慣】

結婚以来、家事と育児は妻にほとんど任せきりでした。

今まで知らなかった習慣に最近気が付きました。

妻は洗濯機と炊飯器に声を掛けているのです。


何か不思議に感じましたが、

普段の生活でも、物を大切に四季折々の催事にも心配りしています。


洗濯機には、

「洗濯ありがとう。よく洗ってくれてありがとう」

と感謝の想いを語りかけていました。


炊飯器には、

翌日のご飯の準備をするときに、

「明日もおいしいご飯を炊いてください」

と声に出しています。


毎日の生活では、多くの家電製品などのお世話になっています。

正しく正常に使用できることが当り前のように感じています。



妻は長年の習慣で続けているようです。

物についての感謝の心は、形はありませんが、伝わると思います。

物を大切にする心にも通じるものだと思います。



(月間PHP談話室「妻の習慣」浅妻明徳さん61歳の投稿より)  


Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 10:48Comments(0)今思った事 考えた事

2015年03月15日

『子育て四訓』


『子育て四訓』

一、乳児はしっかり肌を離すな

一、幼児は肌を離せ手を離すな

一、少年は手を離せ目を離すな

一、青年は目を離せ心を離すな


■「乳児はしっかり肌を離すな」


人間は、他のほ乳類と違って、生まれて一年間はほとんど受け身の状態である。

二足歩行ができるまでは、【母親の胸は子宮の延長】であり、

しっかりと抱かれることによって、赤ちゃんは

「守られている」「かわいがられている」と無意識のうちに感じ信頼し安心するのである。

それが、愛情や信頼、情緒的安定、他人を思いやる心など、人間形成の基盤になる。




■「幼児は肌を離せ手を離すな」


幼児は乳離れをするが、一気に離すのではなく、常に親がそばにいることで、

「心配しなくても良いよ」という安心感を与えることが大切だ。

ちょっと周囲への関心やいろんなものに目が向いていき、

自立させるための第一段階だ。

自立に目覚める幼児期は、完全な保護から社会に向いて一歩踏み出す時期といえる。





■「少年は手を離せ目を離すな」


少年は、友達との付き合いによって社会性が育つ時なので、

ここではしっかり手を離して、活動範囲を広げてやらないといけない。


ただし、いろんな危険があるので、目を離してはいけない。

この時期、子供が親に反抗したり、非行や問題行動に走ったり、

いろんなことで苦しい思いをするかもしれない。

しかし、それは成長の過程である。


親として逃げずに、子供に向き合って、共に成長することを心掛けるべきだ。

子供の荒れの背景には、親や友人に「こちらを向いて欲しい」というメッセージであることが多いのである。




■「青年は目を離せ心を離すな」


青年期にまでなると、完全に自立していくために、

自分なりの生き甲斐、進路を歩んでいく時であるが、

気持ちの上では、心を離してはいけないということである。

いずれにしても、子育ての最終的な責任は親にあるという基本を忘れてはならないのである。

山口県の中学校長や市教委の委員長などを歴任 緒方甫さんの言葉  


Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 10:32Comments(0)勉強になります

2015年03月10日

欠点は才能


「タレントとしてテレビで成功するには、面白いだけではダメで、その場がどういう状況なのかを感知する能力が必要。


『その場の状況の流れ』を感知できず、どこでも同じノリでやってしまうヤツは生き残れない。


そもそも『人見知り』とは、他人の言動や反応をよく観察し、思いをめぐらせてしまうあまり、


『こんな事を言ったら嫌がられるのではないか』と、相手のリアクションを想像してしまって相手としゃべれなくなってしまう人の事。


この『相手のリアクションに思いが及ぶ事』こそが、『神様から与えられた素晴らしい才能』である。


もし、『こんな事を言ったら嫌がられるんじゃないか』がわかるなら、逆に『これを言ったら喜ばれるんじゃないか』も想像できるはず。


だから、『人見知り』は、欠点どころか、タレントとして生きていく上で、最高の武器になる」


「南海キャンディーズ」の「山ちゃん」こと山里亮太さんが、“人見知り”で悩んでいた時に、山ちゃんを救った、芸能界の大先輩「タモリ」さんのひと言から

「逆転スイッチ!」
西沢泰生 著
角川フォレスタより  


Posted by 毎日コツコツ(霜鳥) at 07:53Comments(0)勉強になります